震災当時の想いと、被災地にあった壊れた自転車

震災当時の私の心境

東日本大震災があった日、私はまだ中学校1年生でした。

春休みに入ろうとしていたので、椅子や机は全て廊下に出ていて身を守るものが何もありませんでした。

最初は軽い地震だろうと甘く思っていましたが、段々と揺れが激しくなり泣き出す生徒もいて、先生達も皆を落ち着かせようと必死に対応していたことを今でも鮮明に覚えています。

1番最初に自宅に帰宅し家族が誰もいなかったので、家族全員に無事かどうか電話を掛けましたが、皆が一斉に電話を使っていたので回線が込み合っていて全くつながらず心配に思っていました。

テレビをつけると、どのチャンネルも地震のことを報道していて、津波が町を飲み込む映像を見て、そんなにひどい地震だったのかとそこで初めて実感しました。

変わり果てた姿になった大川小学校

あれから6年が経ち初めて東北に行きました。被災地の状況は当時よりか復興も進んでいて、良くなっていましたが更地の場所が多く見られ瓦礫が残っている場所もありました。

そんな中で、一番印象に残っている建物が大川小学校です。

周りの建物は何も残っていなくポツンと被害を受けた大川小学校だけが残っていて、ここに本当に家や建物が建っていたとは思えませんでした。

小学校の中には、3-1のクラスや音楽室も見えました。外にはプールや体育倉庫や運動会で使う綱も見え、本当にここに子供たちが通っていたと実感しました。

自転車を見て震災の凄まじさが分かった

外で散策を続けていると跡形もなく見るも無残な姿に変形した自転車がありました。

私はその自転車を見て心が痛くなり、この自転車で津波から逃げていたのかもしれない、大川小学校に子供を迎えに来たのかもしれない、ただ流されてきたものなのかもしれないなど色々な事を考えさせられました。

津波の被害は想像していたよりも酷く子ども達にとっては本当に恐ろしい事だったと思います。

自転車の周りには部品や茶碗の破片も交じっていて、地面を一歩一歩強く踏みしめ前に進みました。

壊れた自転車

東北訪問に行き実際に足を運んでみなければわからないことが沢山あり、今回の体験は考えさせられることが多く非常にいい経験になり成長できたと思います。

今回得た経験を忘れずに今後の活動で役立てていきたいと思います。

東北3県125市町村、約2,500人の想いを灯す。
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