震災当初、報道されていない悲しみと複雑な想い

初の東北訪問は自分の想像とかなり異なっていた。

8月、東北に二度目の訪問に行った。

東京からの宮城までの距離、約320kmとても長い距離だ。

私は3月に東京ミッドタウンで行われるイベント、和紙キャンドルガーデンTOHOKU-2018-の担当になった。

今年から配属になり、当時の私は東北の現状など理解できていなかった。

正直、そんなに気持ちが入っていなかった。

ただ、イベントの成功だけを祈っていた。

そんな中、東北の復興状況や東北の方々の想いを聞くことを目的に東北へ行った。

この東北訪問で私の気持ちは大きく変わり、たくさん悩んだ。

貴重な体験談をつづる、、、。

これからお話する内容は、地震の被害が小さかったと報道されていた宮城県伊達市での出来事だ。

予想もしていなかった震災当初の現状

私は当初の目的である、和紙に東北の現状や震災当初のメッセージを書いてもらう為に町役場に訪れた。

役所の職員の方に話かけると、

『伊達市は被害がないと思われている』

『報道の行き先は全て沿岸部、支援も沿岸部だった。』

『私達は政府に見捨てられてしまったの?』

と言った震災当初の想いを聞いた。

何も知らなかった私は驚きを隠せずにいたが、詳しくお話を伺うことができた。

伊達市役所の皆様にメッセージをいただきました。 右端の男性は震災当初自宅に帰れず、家族とも会えず、 役所の床で寝泊まりしていました

内陸部と沿岸部の支援の差

内陸部の震災当初、役所に勤めている方々は床で睡眠をとる日々が三ヶ月続いた。
食料もパンのみ。

水はたくさんあった。

そんな状況。

一番の問題点はお金。

沿岸部では、自宅が津波で流されたり、崩れてしまって別の市町村に避難をした場合、

支援金という形でお金を国から貰えるとのこと。

しかし、内陸部では、自宅が崩れてしまっただけでこの自宅から離れたくない。

と思う住民の方々もいたそうだ。

その場合、支援金というのは一切出なかったと仰っていた。

避難をしたか、してないか

被害が大きい、小さいではなく。

そこでお金を受け取れるか受け取れないか判断があったとのこと。

話を聞いた後、想いが変わっていった、、、、。

私はこういった現状を聞き、一人でも多くの方に伝えていかなければと強く思う反面、

忘れたいと思う方々もいる中、この活動は行うのは正しいのか、という気持ちで葛藤していた。

その時、最後に役所に方々から

このような活動をしてくれてありがとう。

イベントに行けたら行くね!と仰ってくださった。

自分の気持ちを整理することはできないだろう。

結果もわからないと思う。

しかし、被災された方々の気持ちを一番に考えて今後も活動していきたいと思っている。

東北3県125市町村、約2,500人の想いを灯す。
和紙キャンドルの幻想的な空間で、
東北の今を感じてみませんか?

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